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もしも、ケンカ別れをしたとしても、ずっと大好きだから

 

 

今日、大切で大好きな友人に、ずっと伝えたかった想いを話すことができました。

 

私が、外側からどんな人間として映っているのかは、実際よく分かりません。

実のところ、とても気分の変化も気性も激しく、移ろう自分の内側の世界に、私自身がゆらゆらと流動的に揺らぎ、時に心地よく、時に翻弄されながら生きています。

例えば、昨日、したかったことが、今日はぜーんぜんしたくない!といった子どものように移り変わることもしばしば^^;自分で「えー、そうなん!?」と突っ込みを入れたくなることも。

 

この人と一生付き合っていきたい!それくらい大事にしたい!と思えるほど、深く親しくなる友人に、これまでも何人か出会っているのですが、小さな何かをきっかっけに疎遠になってしまったり、気まずくなってしまったり…ということも、実は多々。だからといって、その友人たちが嫌いになったわけでもなく、実は今でも私の心の内では、とてもとても大切な人として存在は輝いていて。けれど、交流するきっかけを見失ってしまっている今、なんともこの想いは伝えられず。それが、寂しくもあり、残念でもあり、でも、私のなかで宝物であるという事実はそっとそのままに秘めているのです。

 

そして、今、私の日常をとても優しく包んでくれている大好きな友人がいます。

彼女がとても愛おしく、一生を通して分かち合える友でいてくれたら…と願いのような祈りのような想いが私に湧き上がってきています。

だからこそ、彼女に伝えておきたいこと。

 

 

「一生つきあっていきたい、そうなればいいなって思ってるよ。けれどこの先、もしも、ケンカ別れをしたとしても、ずっと大好きだから」

 

 

私は、そんなに出来た人間でもなく、意地っ張りで、頑固なところもあって…。

とてもとても親しく心の内を話せる今だから、素直に彼女への愛を伝えておきたかったのです。

大好きであることは変わらないけれど、お互いの何かが変化して、一緒に居られなくなることもある…かもしれない。それを後悔したり、相手や自分を責めたり、残念に思うのではなく、その出来事をそのまま受け入れていく、きっとその時必要な出来事だったのだと丸ごと安心して受け取るために。今、この先も続く彼女への愛があることを伝えておきたかったのです。

 

みんな仲良く。

仲良くしなければいけない。

うまく付き合わなければいけない。

 

この枠組みを出ることで、私も相手も、自由になれる。

仲良くいられないときを、責めたり、後悔したりを私はやめたいのだということに、今書きながら、気づきました。

 

仲良くいられるときも大切。

仲良くいられないときも、あっていい。

 

一生の友でいられますように。

この祈りのような想いを抱きながら、丁寧に日々を紡いでいこうと、愛をここに綴っておきます。